武将一覧

現在登録されている武将の一覧です。

写真 名前 プロフィール マッピング数
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あかしぜんとう

明石全登

マッピング数:0
明石全登は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。諱は複数伝わり、定かではないが、「明石全登」の名が一番有名。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。 0 詳細を見る
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あけちみつひで

明智光秀

マッピング数:8
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で本能寺の変を起こした事で有名である。 8 詳細を見る
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あざいながまさ

浅井長政

マッピング数:4
浅井 長政(あざい ながまさ)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。 4 詳細を見る
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あさくらそうてき

朝倉宗滴

マッピング数:3
朝倉 宗滴(あさくら そうてき) / 朝倉 教景(あさくら のりかげ)は、戦国時代の武将。越前国の戦国大名・朝倉氏の家臣。朝倉貞景・朝倉孝景(宗淳)・朝倉義景の3代の朝倉氏当主を一族の参謀格としてよく補佐し、各地を転戦して武名を轟かせた。諱は教景だが、出家名の宗滴の名が有名。茶器・九十九髪茄子を所有していたことでも知られる。 3 詳細を見る
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あさくらよしかげ

朝倉義景

マッピング数:2
朝倉 義景(あさくら よしかげ)は戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏第11代(最後)の当主。 2 詳細を見る
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あしかがよしあき

足利義昭

マッピング数:0
足利 義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府第15代(最後)の将軍。晩年は豊臣秀吉に御伽衆として仕えた。 0 詳細を見る
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あまごつねひさ

尼子経久

マッピング数:2
尼子 経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名。出雲守護代。 2 詳細を見る
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いいなおまさ

井伊直政

マッピング数:6
井伊 直政(いい なおまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。井伊氏第24代当主。上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。 6 詳細を見る
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いけだてるまさ

池田輝政

マッピング数:7
池田 輝政(いけだ てるまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。美濃池尻城主、同大垣城主、同岐阜城主、三河吉田城主を経て、播磨姫路藩の初代藩主となる。姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られる。姫路宰相と称された。 7 詳細を見る
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いしだみつなり

石田三成

マッピング数:4
石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。 関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。 4 詳細を見る
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いまがわよしもと

今川義元

マッピング数:2
今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の武将、駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。桶狭間の戦いで織田信長に討たれる。 2 詳細を見る
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うえすぎかげかつ

上杉景勝

マッピング数:2
上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣政権の五大老の一人。出羽米沢藩初代藩主。上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で、上杉宗家(重房を初代として)17代目。 本姓は平氏、後に藤原氏、豊臣氏を経て藤原氏となる。家系は桓武平氏の血を引く長尾氏の生まれで、叔父・上杉謙信の養子となり上杉氏となる。 2 詳細を見る
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うえすぎけんしん

上杉謙信

マッピング数:21
上杉 謙信(うえすぎ けんしん)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。武田信玄との川中島の戦いが有名である。 21 詳細を見る
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うきたひでいえ

宇喜多秀家

マッピング数:3
宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権下の五大老の一人。通称は備前宰相。戦国大名としての宇喜多氏最後の当主であり、備前岡山57万4,000石。 3 詳細を見る
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おおうちよしたか

大内義隆

マッピング数:3
大内 義隆(おおうち よしたか)は、戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。 周防国の在庁官人・大内氏の第31代当主。第30代当主・大内義興の長男。母は正室の内藤弘矩の娘。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護職を務めた。官位は従二位行兵部卿兼大宰大弐兼侍従。また義隆の時代には大内文化が爛熟して大内家は全盛期を迎えたが、文治政治に不満を抱いた家臣の陶隆房にクーデターを起こされ、義隆と一族は自害して、大内家は事実上滅亡した。 3 詳細を見る
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おおたによしつぐ

大谷吉継

マッピング数:1
大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされ、大谷刑部(ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、晩年は頭を白い頭巾で隠していたとも言う。 1 詳細を見る
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おおともそうりん

大友宗麟

マッピング数:3
大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名、キリシタン大名。大友氏第21代当主。宗麟の法号で知られている。 3 詳細を見る
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おだのぶただ

織田信忠

マッピング数:1
織田 信忠(おだ のぶただ)は、安土桃山時代の武将・大名。織田信長の嫡男で、信長の生前に家督を譲られた。 1 詳細を見る
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おだのぶなが

織田信長

マッピング数:79
織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。天下統一を半ばまで成し遂げる。 79 詳細を見る
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かとうきよまさ

加藤清正

マッピング数:3
加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。賤ヶ岳の七本槍に数えられる。 3 詳細を見る
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がもううじさと

蒲生氏郷

マッピング数:5
蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(ますひで)、または教秀(のりひで)。また、キリシタン大名でもあり、洗礼名はレオン(あるいはレオ)。子に蒲生秀行。 5 詳細を見る
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きっかわもとはる

吉川元春

マッピング数:3
吉川 元春(きっかわ もとはる) / 毛利 元春(もうり もとはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の次男で母は吉川国経の娘・妙玖。同母の兄弟に兄の毛利隆元、弟の小早川隆景、その他異母の兄弟が多くいる。 父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続した。以後、毛利両川の一人として、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げ、主に山陰地方の司令官として貢献した。 3 詳細を見る
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くろだかんべえ

黒田官兵衛

マッピング数:6
黒田 官兵衛くろだ かんべえ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。 6 詳細を見る
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くろだながまさ

黒田長政

マッピング数:3
黒田 長政(くろだ ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前福岡藩初代藩主。 戦国武将、軍師黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。九州征伐の功績で豊前中津の大名となり、文禄・慶長の役などでも活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げた事から、徳川家康より筑前名島に52万3千余石の大封を受け、福岡藩を立藩し、初代藩主となった。父の孝高と同じくキリシタン大名であったが、棄教した。 3 詳細を見る
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ごとうもとつぐ

後藤基次

マッピング数:1
後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は又兵衞で、後藤 又兵衛(ごとう またべえ)として広く知られる。黒田如水、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。 1 詳細を見る
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こにしゆきなが

小西行長

マッピング数:3
小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。洗礼名アウグスティヌスを持つキリシタン大名でもある。一時期は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争った。関ヶ原の戦いにおいては西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された。 3 詳細を見る
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こばやかわたかかげ

小早川隆景

マッピング数:3
小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。 毛利元就の3男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいる。毛利両川の1人として、元春と共に毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、文禄4年に発令された「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条において秀吉に五大老の一人に任じられた。実子はなく、木下家定の五男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。特に豊臣秀吉の信頼は厚く、事実上毛利家の統率者であった。 3 詳細を見る
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さいとうどうさん

斎藤道三

マッピング数:3
斎藤 道三(利政)(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。 3 詳細を見る
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さたけよししげ

佐竹義重

マッピング数:2
佐竹 義重(さたけ よししげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。常陸国の戦国大名。佐竹氏第18代当主。北条氏と関東の覇権を巡って争い、佐竹氏の全盛期を築き上げた。領内の金山に最新の冶金技術を導入して豊富な資金力を実現した。関東一の鉄砲隊を備えたという。 2 詳細を見る
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さなだ のぶゆき

真田信之

マッピング数:0
真田 信之(さなだ のぶゆき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主。真田信繁(幸村)の兄。 0 詳細を見る
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さなだのぶしげ

真田信繁

マッピング数:8
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。大坂の陣での活躍が名高い。「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で広く知られている。実名においては「信繁」が正しい。 8 詳細を見る
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さなだまさゆき

真田昌幸

マッピング数:15
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。 甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の後北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像として現在でもよく知られている。 15 詳細を見る
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しばたかついえ

柴田勝家

マッピング数:7
柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名である。織田信長の家臣。通称,修理亮。妻お市は信長の妹。越前北ノ庄(今の福井市)に拠って北陸を支配。本能寺の変後,豊臣秀吉と対立,賤ヶ岳の戦いに敗れ,北ノ庄で自害した。 7 詳細を見る
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しまさこん

島左近(清興)

マッピング数:3
島 清興(しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。実名は俗に勝猛(かつたけ)などともいうが、文書から確かなのは清興である。 三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕え、「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった『古今武家盛衰記』。 娘の珠は柳生利巌の継室となっており、剣豪として名高い柳生厳包は左近の外孫にあたる。 3 詳細を見る
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しまづよしひろ

島津義弘

マッピング数:5
島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。九州南部の大名。 5 詳細を見る
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すえはるかた

陶晴賢

マッピング数:1
陶 晴賢 / 陶 隆房(すえ はるかた / すえ たかふさ)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣。厳島の戦いで毛利元就に討たれる。 1 詳細を見る
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せんごくひでひさ

仙石秀久

マッピング数:1
仙石 秀久(せんごく ひでひさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。 豊臣秀吉の最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世した。戸次川の戦いで大敗を喫した後、逃亡したため改易されるが、小田原征伐の活躍により許された。 1 詳細を見る
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たかはしじょううん

高橋紹運

マッピング数:1
高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 1 詳細を見る
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たけだかつより

武田勝頼

マッピング数:5
武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。武田二十四将の一人と数える場合もある。 5 詳細を見る
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たけだしんげん

武田信玄

マッピング数:8
武田 信玄(たけだ しんげん)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。上杉謙信との川中島の戦いが有名である。 8 詳細を見る
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たちばなどうせつ

立花道雪

マッピング数:2
立花 道雪/戸次 鑑連(たちばな どうせつ/べっき あきつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名・大友氏の家臣。臼杵鑑速や吉弘鑑理らと共に大友家の三宿老に数えられた。 大友義鑑・大友義鎮の2代に渡って大友家に仕えた宿将で、北九州各地を転戦した。その勇猛は諸国に知られて恐れられた。本人は立花姓を名乗っておらず、戸次鑑連または戸次道雪で通している。 2 詳細を見る
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たちばなむねしげ

立花宗茂

マッピング数:4
立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。 4 詳細を見る
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だてまさむね

伊達政宗

マッピング数:5
伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主。仙台藩初代藩主。 伊達氏第16代当主・伊達輝宗と正室最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の間に生まれた嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。 5 詳細を見る
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ちょうそかべもとちか

長宗我部元親

マッピング数:3
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名である。長宗我部氏第21代当主。 3 詳細を見る
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つがるためのぶ

津軽 為信

マッピング数:0
津軽 為信(つがる ためのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。陸奥国弘前藩初代藩主。 0 詳細を見る
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つついじゅんけい

筒井順慶

マッピング数:3
筒井 順慶(つつい じゅんけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。得度して順慶と称する前は、室町幕府13代将軍・足利義藤(後の義輝)の偏諱により藤勝(ふじかつ)、藤政(ふじまさ)と名乗っていた。大和筒井城主、後に大和郡山城主。事績については『多聞院日記』に詳らかに記述されている。 3 詳細を見る
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とくがわいえやす

徳川家康

マッピング数:8
徳川 家康(とくがわ いえやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。信長、秀吉後の徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下の礎を築いた。 8 詳細を見る
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とよとみひでよし

豊臣秀吉

マッピング数:10
豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。信長亡き後、天下統一を成し遂げる。 10 詳細を見る
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とよとみひでより

豊臣秀頼

マッピング数:2
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより/とよとみ の ひでより、旧字体: 豐臣秀賴、文禄2年8月3日(1593年8月29日) - 慶長20年5月8日(1615年6月4日))は、日本の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。天下人。 豊臣秀吉の三男。秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子。子は側室・和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松と、小石の方(おいわのかた。成田氏)との間に天秀尼(彼女の生母については異説がある)。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸(ひろいまる)。 なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である 2 詳細を見る
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なおえかねつぐ

直江兼続

マッピング数:5
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。 5 詳細を見る
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なかがわきよひで

中川清秀

マッピング数:2
中川 清秀(なかがわ きよひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。 幼名は虎之助。通称は瀬兵衛(せびょうえ)。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系摂津源氏の流れを汲む多田源氏(あるいは河内源氏傍系石川源氏)の後裔と称した。父は中川重清(しげきよ)、母は中川清村(きよむら)の娘。子に秀政、秀成、池田輝政先室(池田利隆母)・糸姫。妹は古田重然(織部)室。キリシタン大名である高山右近は従兄弟にあたる 2 詳細を見る
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にいろただもと

新納忠元

マッピング数:0
新納 忠元(にいろ ただもと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。島津氏の家臣。 0 詳細を見る
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ふくしままさのり

福島正則

マッピング数:3
福島 正則(ふくしま まさのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。 3 詳細を見る
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ふるたしげなり

古田 重然

マッピング数:1
古田 重然(ふるた しげなり、ふるた しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。 1 詳細を見る
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ほうじょううじやす

北条氏康

マッピング数:4
北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模の戦国大名。後北条氏第3代目当主。 4 詳細を見る
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ほうじょうそううん

北条早雲

マッピング数:5
北条 早雲(ほうじょう そううん)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である。伊勢 宗瑞(いせ そうずい)とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。 5 詳細を見る
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ほりひでまさ

堀秀政

マッピング数:5
堀 秀政(ほり ひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。 5 詳細を見る
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ほんだただかつ

本多忠勝

マッピング数:3
本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。 徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。 3 詳細を見る
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まえだとしいえ

前田利家

マッピング数:7
前田 利家(まえだ としいえ)とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。 7 詳細を見る
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まつだいらきよやす

松平清康

マッピング数:0
松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代の武将。三河松平氏(安祥松平家)の第7代当主。第6代当主・松平信忠の子。三河国安祥城城主および岡崎城主。安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。徳川家康の祖父にあたる。 0 詳細を見る
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まつながひさひで

松永久秀

マッピング数:3
松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永弾正(まつなが だんじょう)の名で知られる。弟に長頼、嫡男に久通、養子に永種(貞徳の父)。 3 詳細を見る
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みよしながよし

三好長慶

マッピング数:5
三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津守護代、相伴衆。 5 詳細を見る
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もうりてるもと

毛利輝元

マッピング数:3
毛利 輝元(もうり てるもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。父である隆元の早世により祖父の元就在世中に当主となる。豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。長州藩の藩祖。 3 詳細を見る
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もうりもとなり

毛利元就

マッピング数:4
毛利 元就(もうり もとなり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての安芸(現在の広島県西部)の国人領主・戦国大名。 4 詳細を見る
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もがみよしあき

最上義光

マッピング数:2
最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。兜は、三十八間金覆輪筋兜。 2 詳細を見る
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もりなりとし

森成利

マッピング数:2
森 成利(もり なりとし)は、安土桃山時代の武将。森 蘭丸(もり らんまる)という名で知られる織田信長の近習である。本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。 名前については異説が多く、幼名を乱(らん)とするものや、諱を長定(ながさだ)や長康(ながやす)とするものなど幾つかあるが、本記事においては諱として有力とされる成利で統一する。 2 詳細を見る
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やまもとかんすけ

山本 勘助

マッピング数:0
山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代の武将。 0 詳細を見る
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ゆうきひでやす

結城秀康

マッピング数:2
結城 秀康(ゆうき ひでやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川家康の次男。越前北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。 2 詳細を見る
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りゅうぞうじたかのぶ

龍造寺隆信

マッピング数:2
龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前の戦国大名。 2 詳細を見る
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わきざかやすはる

脇坂安治

マッピング数:6
脇坂 安治(わきざか やすはる)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。淡路洲本藩主。後に伊予大洲藩初代藩主。 6 詳細を見る