武将一覧

現在登録されている武将の一覧です。

写真 名前 プロフィール マッピング数
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かとうきよまさ

加藤清正

マッピング数:3
加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。賤ヶ岳の七本槍に数えられる。 3 詳細を見る
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がもううじさと

蒲生氏郷

マッピング数:5
蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(ますひで)、または教秀(のりひで)。また、キリシタン大名でもあり、洗礼名はレオン(あるいはレオ)。子に蒲生秀行。 5 詳細を見る
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きっかわもとはる

吉川元春

マッピング数:3
吉川 元春(きっかわ もとはる) / 毛利 元春(もうり もとはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の次男で母は吉川国経の娘・妙玖。同母の兄弟に兄の毛利隆元、弟の小早川隆景、その他異母の兄弟が多くいる。 父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続した。以後、毛利両川の一人として、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げ、主に山陰地方の司令官として貢献した。 3 詳細を見る
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くろだかんべえ

黒田官兵衛

マッピング数:6
黒田 官兵衛くろだ かんべえ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。 6 詳細を見る
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くろだながまさ

黒田長政

マッピング数:3
黒田 長政(くろだ ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前福岡藩初代藩主。 戦国武将、軍師黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。九州征伐の功績で豊前中津の大名となり、文禄・慶長の役などでも活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げた事から、徳川家康より筑前名島に52万3千余石の大封を受け、福岡藩を立藩し、初代藩主となった。父の孝高と同じくキリシタン大名であったが、棄教した。 3 詳細を見る
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ごとうもとつぐ

後藤基次

マッピング数:1
後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は又兵衞で、後藤 又兵衛(ごとう またべえ)として広く知られる。黒田如水、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。 1 詳細を見る
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こにしゆきなが

小西行長

マッピング数:3
小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。洗礼名アウグスティヌスを持つキリシタン大名でもある。一時期は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争った。関ヶ原の戦いにおいては西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された。 3 詳細を見る
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こばやかわたかかげ

小早川隆景

マッピング数:3
小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。 毛利元就の3男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいる。毛利両川の1人として、元春と共に毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、文禄4年に発令された「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条において秀吉に五大老の一人に任じられた。実子はなく、木下家定の五男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。特に豊臣秀吉の信頼は厚く、事実上毛利家の統率者であった。 3 詳細を見る