武将一覧

現在登録されている武将の一覧です。

写真 名前 プロフィール マッピング数
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たかはしじょううん

高橋紹運

マッピング数:1
高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 1 詳細を見る
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たけだかつより

武田勝頼

マッピング数:5
武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。武田二十四将の一人と数える場合もある。 5 詳細を見る
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たけだしんげん

武田信玄

マッピング数:8
武田 信玄(たけだ しんげん)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。上杉謙信との川中島の戦いが有名である。 8 詳細を見る
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たちばなどうせつ

立花道雪

マッピング数:2
立花 道雪/戸次 鑑連(たちばな どうせつ/べっき あきつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名・大友氏の家臣。臼杵鑑速や吉弘鑑理らと共に大友家の三宿老に数えられた。 大友義鑑・大友義鎮の2代に渡って大友家に仕えた宿将で、北九州各地を転戦した。その勇猛は諸国に知られて恐れられた。本人は立花姓を名乗っておらず、戸次鑑連または戸次道雪で通している。 2 詳細を見る
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たちばなむねしげ

立花宗茂

マッピング数:4
立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。 4 詳細を見る
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だてまさむね

伊達政宗

マッピング数:5
伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主。仙台藩初代藩主。 伊達氏第16代当主・伊達輝宗と正室最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の間に生まれた嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。 5 詳細を見る
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ちょうそかべもとちか

長宗我部元親

マッピング数:3
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名である。長宗我部氏第21代当主。 3 詳細を見る
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つがるためのぶ

津軽 為信

マッピング数:0
津軽 為信(つがる ためのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。陸奥国弘前藩初代藩主。 0 詳細を見る
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つついじゅんけい

筒井順慶

マッピング数:3
筒井 順慶(つつい じゅんけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。得度して順慶と称する前は、室町幕府13代将軍・足利義藤(後の義輝)の偏諱により藤勝(ふじかつ)、藤政(ふじまさ)と名乗っていた。大和筒井城主、後に大和郡山城主。事績については『多聞院日記』に詳らかに記述されている。 3 詳細を見る
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とくがわいえやす

徳川家康

マッピング数:8
徳川 家康(とくがわ いえやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。信長、秀吉後の徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下の礎を築いた。 8 詳細を見る
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とよとみひでよし

豊臣秀吉

マッピング数:10
豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。信長亡き後、天下統一を成し遂げる。 10 詳細を見る
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とよとみひでより

豊臣秀頼

マッピング数:2
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより/とよとみ の ひでより、旧字体: 豐臣秀賴、文禄2年8月3日(1593年8月29日) - 慶長20年5月8日(1615年6月4日))は、日本の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。天下人。 豊臣秀吉の三男。秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子。子は側室・和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松と、小石の方(おいわのかた。成田氏)との間に天秀尼(彼女の生母については異説がある)。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸(ひろいまる)。 なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である 2 詳細を見る